美少女ゲーム理想論
昨日の予告通り、同級生オリジナル版の復刻に際して、私なりの美少女ゲーム(ここではギャルゲ、エロゲを含むゲームの総称として扱う)論でも展開してみたいと思います。


1.馴れ初め

私は中学生のころ、同級生のノベライズを従兄弟の家で読みました。20歳の従兄弟の部屋はめくるめく肌色の本で溢れており、当時の私にとってみれば大航海時代の欧州から見た黄金の国ジパング。思えば、それがその後の色々な踏み外しの元になってるような気がしますが、テキストという高次な(ある意味低次だけど)媒体で自慰をしたのは同小説が初めてでした。(ストレートだ)
ペンギンクラブだの阿口云だの雑誌を中心としたエロ本を漁っている中、一冊だけポツンとしていた新書が小説版同級生三部作最終巻、『きっと、忘れない夏』。
当時はせいぜいオーフェンなどラノベを少し読むだけだった私が、少しページをめくってみただけで、取り込まれる取り込まれる。結局、明け方までかけて、400ぺージを越える成人小説を、それまでの人生で最大級の勃起を続けたまま読み切ったのです……!←感動するところ


2.ノベライズ版『同級生』はどこが素晴らしいのか

現在ギャルゲだのエロゲだのを片っ端から消化し、ダメ人間への道をひた走っているわけですが、そうしてこなしている最近の作品と比べても、この小説はすごい作品だったと思います。
今尚、どこが評価できる作品であるかと言いますと……ここは、ノベライズの著者である、中山文十郎氏の後書きをまずは抜粋し、ご覧いただきたい。


 ん~~、ワシにとってはな、『同級生』という作品は、矛盾の極みじゃったよ。いちいちあげつらうとキリがないでな。ほどほどにしておくが、早い話が、「ゲームでは通用することが、小説では通用せん」これに尽きるかのう。

 ゲームの中の主人公は自分自身……つまりは読者のみんな、そのままなのじゃ。小説の中では、そうはいかん。物語の主人公として独自の性格と意思を持たさねばならん。
『同級生』の娘たちは、みな「いい子」じゃ。
 その「いい子」が結ばれるからには、「良き男」でなくてはのぉ。ナンパな男に次々に処女を散らされてしまうのは、耐えられんじゃろ? だからワシは、辻村詠を「良き男」とした。

 ここで、恐るべき矛盾が生まれるのじゃよ。
 次々と関係させぬと、お話にならぬのでな。

 だがワシは、そうまでしても主人公が「良き男」であることにこだわった。
 ワシにとっての『同級生』は、「ナンパ小僧が、美少女を食いまくる」ゲームでは絶対なかったのでな。
 なればこそ、『同級生』は名作なのじゃ。          (同小説p437~p438より)

「多数のヒロインとのHシーンに正当性をもたらしている」。少し嫌な言い方ですが、簡単に言えばそういうことになりましょうか。
この姿勢は小説だけではなく、ゲームにおいても非常に重要なことではないかと私は考えます。


3.捨てられていくヒロイン達

ギャルゲ、エロゲにおいて、主人公の存在とは、ひどく希薄なものとなります。こういったゲームのほとんどは一人称視点であり、プレイヤーとしての私たちは、自然と「彼」に限りなく近い視点でストーリーを読み進めていくことになるからです。
まぁ、「選択肢」という枠の中であることや、時折主人公に「オメー誰だよ」と突っ込みたくなることもありますが、前者はそれがクリアへの安心感を生むことになり、後者は笑いどころとなる場面や山場が多いので寛容できる範囲でしょう。

何が言いたいのかというと、美少女ゲームのストーリーにおいての、『主人公の必要性』についてです。
この文章を読んでおられる諸氏にあらせられては、「主人公がいなければ」この女の子はダメになってたんじゃね」というゲーム、キャラクターがいくつか、何人かはなんとなく浮かんでくるのではないでしょうか。

では、そのゲームの、そのキャラクター(仮にAとする)を攻略した後、他のキャラクター(仮にBとする)のシナリオを進めている時、

「主人公がBと仲良くなってハッピーエンドになると、Aはどうなっちゃうんだろう」

……と思ったことはないでしょうか。
ここが、私がどうしても美少女ゲームで納得できない所なのです。

どうにかして、Aも、Bも、その他のヒロインも、ゲームでかかわった全ての登場人物が、同じ時間軸上で幸せになることはできないのだろうか。それだけが……私の最後の願いです。(死亡フラグ)


4.美少女ゲームの目指すべき所とは

では結局、私がよしとする美少女ゲームはどんなものなのか。例を挙げてみましょう。
私が、その問いの答えの手がかりとして提示したいのが、以下の作品です。(以下空白反転ネタバレ注意)


Air

いきなり大物を取り上げてみます。
1000年という長い時間の中で、『国崎往人』にたとえられる人形使い達が、『遠野美凪』にたとえられる少女や、『霧島佳乃』にたとえられる少女達を救う。その中には決して良いものばかりではなかったかもしれませんが、DREAM編で語られる物語は、その膨大な数の中のひとつであり、同時間軸で幸せになったものだと私は解釈しています。
(詳しくは、
http://www2.odn.ne.jp/~aab17620/air_0.html
こちらのサイト様の
http://www2.odn.ne.jp/~aab17620/air_1.html
このページが詳しいかと。リンクを貼ると反転の意味がなくなるエキブロマーメイ)


水夏

これはもう、一本のお話。ヒロインを選び取るのではなく、全てのストーリーを追うことで、ひとつの物語を完成させています。その点を逆に批判する意見があったり、肝心の『閉幕』が出し辛かったりしますが。

D.C.

ちょっとずるいやり方かもしれませんが、これも立派な「全てのヒロインが幸せになる方法」。同時並列世界がループする、という手法になりますが、まぁ『ダ・カーポ』ですし。

ひぐらしのなく頃に

ループ系。繰り返されていく作中の時間の中で、「登場人物が全て幸せになる方法」を模索していく、というスタイル。

CROSS†CHANNEL

プレイ中。


とまぁ、私の低い経験値ではあまり数を出すことができず、Introductionでの好みをそのまま出す結果となってしまいましたが、そこは愛嬌で。余談ですが、「この流れならあの作品にも触れるべきじゃね?」と思った方は鋭いのですが、私は敢えてその作品には、まだ当ブログ上でコメントをするつもりはないのであしからず! そのまま心の中のニヤニヤだけで留めておいてください。


5.私が同作品を持ち上げる理由

「じゃあお前は、他のどのギャルゲもエロゲもダメだっつーのかよ」

ここまでの論調では、そう思われても仕方がありませんが、うーむ。
引用が続いてなんですが、エンジェルハート21巻で、北条司が何気なく書いているコメントを思い出します。


 僕が三~四歳の頃に(多分初めて劇場で)見た映画を久しぶりにDVDで観てみた。あれ?と思った。その映画のヒロインはもろ自分好みの女性で、悪女役の女優はもろ嫌いなタイプの顔だった(二人とも美人顔ではあったけれど)。
 三つ子の魂百まで…とはよく聞くけれど、もしかして劇場の大きな画面で観たこの映画が、僕の女性の好みを決めてしまったのでは………まさかねぇ。

どうも、私もそうらしいです。つまり、私の美少女ゲーの性癖は、初めて触れた美少女作品である、『同級生ノベライズ版』の精神そのままなのでしょう。
全ての作品に、整合性、矛盾が完璧なものを求めるのは違うかもしれませんが、私が胸を張って好きといえるのは、そういう作品が多い、ということでしょうか。でもやっぱり、「みんな幸せ」は空々しいかもしれませんが、なればこそ作品にまとまりが出来、名作と呼ばれるものも多く、そういった作品がどんどん出てくればいいなぁ、とも思います。


6.シスプリサイトっぽいまとめ

以上、最後を無難にまとめようとした感がありますが、これらの条件を満たすのも、シスプリだったりします。
シスプリはハナっから、『妹一人、兄一人』の構造。同じ世界観を共有しながら、そもそも他の妹を気にする必要がないのです。ポケットストーリーでは妹が仲良くやってますが、まぁ、あの辺については、また別の機会に。
なぜかシスプリの素晴らしさを再確認するまとめになりましたが、まぁほら、シスプリサイトだから! でもこの記事はこう締めたい。御影御大マンセー、と。
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by sakuragi_takashi | 2007-08-23 23:34
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