吐いた息はほんの少しだけ白く残った気がしたけど、違ったのかもしれない。今年の冬はとても暖かくて、まだまだ遠くて。去年の同じ日――冬休みの一番始めの日に家の前の小さな木が雪化粧をしていたことを思うと、学校の理科の先生が言ってた温暖化ってのもあながち嘘じゃないのかも。社会の先生は逆のことを言ってたけど。 とっとっとっ……と一定のリズムを刻んで走る体は忙しい。でも頭の方はといえば暇を持て余していて、考えるともなしにぼんやりと思い付くことが炭酸ジュースの気泡のように浮かんでは消えていく。今日から冬休みだ。みんなは今日ぐらいゆっくり起きるのかな。でも、ボクは勝手に目が覚めちゃうんだよなぁ。 ……あにぃは、どうなのかな。 やっぱり、今頃ぐぅぐぅ寝てるのかな。 さっきまでどんどん流れていた周りの見慣れた景色が、そのスピードを落とした。そろそろ折り返しだ。いつも折り返しの、往路と復路の区切りに決めている児童公園で、軽くストレッチをすることにしてる。公園はこぢんまりしているものの、そこそこ小綺麗で遊具も一通り揃っていた。砂場には普段利用している子供のものか、これまた小さなシャベルとバケツが仲良く並んでいた。朝の静けさにひそやかにたゆたう空間に、ボクは歩くような速さで踏み入った。 あにぃは最近朝のジョギングには付き合ってくれてない。一緒に走っていたのが随分前に思えた。忙しかったり、そのせいで朝起きられなかったり。元々一緒に走ろうと言って始めたわけではないし、一人で走るのも嫌なわけじゃない。 でも、……一緒に走れたら、嬉しいな。 それは素直な気持ちだったけれど、そう考えた途端、体が熱くなった気がした。8ずつ数えながら伸ばすところを順々に変えていた体が少し赤味を帯びる。 なんでだろう。最近、あにぃの事を考えると、こんな風に、……なんていうか、 ……恥ずかしく、なる……? 「うわー。わー。わー」 ばんばんばん、と最近買い換えたばかりの今まで履いたことがないほど軽いシューズを踏み鳴らす。痛い。 一人で何をやってるんだろう。走ってきたばかりなのに、体がうずうずする。運動とはまた違う原因で上気した頬を冷やそうと、敷地の隅に追いやられるように作られた水飲み場に向かう。 水飲み場からは、ボクが入ってきた入口とはまた別の、タイヤを半分だけ地面の上に出した車輌止めが可愛らしい入口が近かった。そしてその先、道路を挟んで反対側の家の前には、 「おはようございます!」 60歳を少し越えたくらいの、落ち着いた雰囲気のお婆さんがいた。正確には、家の前にある人工芝が植えられた、ちょっとした庭のようなスペースにある木製のベンチに、ちょこんと座っていた。 しまった、驚いたかな。こっちを見ていた気がしたから、思い切って挨拶をしたんだけど。声、大きすぎちゃったかな……? 「おはようございます」 心配が心に浮かびかけた時に、そのお婆さんは見た目にぴったりな、静かな優しい声で挨拶を返してくれた。「おはよう」って言葉は大好きだ。するのはとても気持ちいいし、返されるともっと気持ちいい。朝にそうやって気分がよくなると、その日一日をステキな気持ちで過ごせるような感じがする。 お婆さんは、その場から特に動くこともそれ以上のことを話しかけてくるでもなく、ただ、ボクの方を向いてにこにこと笑いかけてくれていた。 その日から、ボクは毎朝そのお婆さんと挨拶をするようになった。話をするでもなく、ただ挨拶を交わすだけ。話しかけてこなかったのは、もしかしたらボクの邪魔になると思ったのかもしれない。それでも一人で走る朝の道に、そのお婆さんとの挨拶は優しい彩りを添えてくれた。 そんな日が続いた、年末と呼ぶにはまだ少し早い折。ボクは公園からの帰り道に、久しぶりにあにぃと出会った。 † † † 「衛!」 公園と家とのちょうど半分くらいだった。まだまだ余裕のあった息を乱れないように、慎重に整えながら動作を歩きに切り替える。すごくどきどきした。嬉しさで胸がいっぱいになった。その声の、ボクの大好きな声のした先を振り返る。 「あにぃ? ……わぁ! あにぃだぁ!」 あにぃはロゴ入りの少しくたびれたパーカーに(一昨年くらいに、家で着ていたのを見た気がする)、これも緩そうな感じのカーゴパンツという出で立ちだった。寒そうにパーカーのポケットに手を突っ込みながら、こっちを見て目を細める。 「あにぃ、寒い?」 「そんなでもないけど……まだ朝だし。衛は……暑そうだなぁ」 なんだか呆れたみたいな感じで、あにぃ。ボクはうっすらと汗をかいていて、風が涼しく感じられた。 「そりゃあ、ジョギングの途中だもん」 「元気だなぁ……」 うん……あにぃだ。もう、こうしてるだけで嬉しくて嬉しくてたまらない。ボクは、とても幸せだぞー! って、叫びだしたいくらい。 「衛の家はあっちだから、今帰りか」 「うん」と、そこではたと気付く。「あれ? あにぃは何の途中?」 「あー、さっきまで雛子の家にいた」 ……あれ? 「雛子ちゃんの?」 なんだろう。 「そう」 「昨日って、雛子ちゃんの……『お兄ちゃんの日』?」 この、 「いや、昨日の夜、母さんから電話があって。雛子、ちょっとグズっちゃったんだよ」 イヤな気持ちは。 「そう……なんだ」 「最近、ちょっと寂しいみたいなんだ。母さん、余り家に居られないみたいで。今年の冬休みは友達がみんな実家に帰ってるとかでさ、あまりこっちに残ってないらしいんだ」 「……うん」 「そうすると、家に一人だろ? 花穂とか咲耶とかにも相手してもらってたんだけど、いつもってわけにもいかないし。人恋しい時期なのに。だから、ストレスたまっちゃったんだと思う」 「そうだったんだ……。……もう、大丈夫なの?」 「うん。昨日の夜は寝かしつけて、そのまま泊まってきた。けど俺、今日学校あるから。雛子起きてから出ようとすると、またかわいそうだし」 「それはそれでちょっとかわいそうな気もするけど……」 「……まぁ、なぁ」 ……いいかな。 「あのさ、あにぃ」 「んん?」 「ボクも、」 ……いいよね。 「あにぃと一緒に、遊びたいな」 雛子ちゃんばっかり、とは思わない。いや、そう考えた時点で、もう思っちゃってるのかもしれない。でも、雛子ちゃんへの、暗い気持ちとか、そんなのはなかったと思う。ボクはただ、あにぃに、もっと……。 「……だめ?」 知らない内に、ボクは顔を俯かせていた。ごめん、って言われるのが怖かった。あにぃを困らせるのが嫌だった。なんでこんなこと言っちゃったんだろう。ぐるぐる頭の中は後悔の感情で渦を巻いて何も考えられなくなる。耐えられなくなって恐る恐る顔を上げると、あにぃの考え込むような顔があった。 「そういえば最近、衛の相手、してやれてなかったかも」 「……あ、え、えっと……、そ、そうだよ!」 い、いける? 「あにぃ、もっと、もっとボクと……遊ぼうよ!」 精一杯の気持ちを、ありったけの思いを込めて、言ってやる。そうだ。あにぃはちょっとドンカンだから、こうやってはっきり言わないと分からないんだ。そう、そうなんだ。 「今年の冬は、まだあんまり雪も降ってないけど……スノボとか、クリスマスとか、お正月とか、あにぃとやりたいこと、一緒にいたいこと、たっくさんあるんだ!」 「そうだな……。うん、いいよ」 やった! 「ただ、衛の言う通り雪が降ってからじゃないと。ボードは年明けになりそうじゃない? でもまず、近いうちにどっか遊び行く?」 「うん、うん!」 「いつがいいかなー……」 ああもう! そんなの、決まってるよ! 「明日! 明日、あにぃと遊びに行きたい! 新しいボード買うお金、ボク貯めてたんだよ! 見に行こう!」 「俺はいいけどさ」 「それじゃあ!」 「けど衛、明日登校日じゃなかったっけ?」 …………あ。 「……そ、そうだった」 忘れてたよ…… 「明後日は俺、登校日だし。じゃあ、しあさって?」 「しあさってかぁ……。しょうがないよねぇ……」 でも、楽しみだ。 楽しみ、だったのに。 登校日がある日も、朝のジョギングは欠かさなかった。いつも通りの道、いつも通りの時間、いつも同じ場所にいる大きな黒い犬。そして最近「いつも通り」になった、お婆さんとの挨拶。今日もお婆さんは、同じベンチに腰掛けていた。 「おはようございます!」 最近はどのくらい声を出せばちょうどいいのか掴めてきた気がする。お婆さんは少し耳が遠いらしくて、前に一度、お婆さんが朝日に目を向けていて、遠慮がちに声をかけたら気付く様子はなかった。その時は一通り体をほぐしてから、帰り際に気付いてくれたお婆さんに声をかけたのだけれど。 「――――――――」 ……あれ? 確かに、お婆さんの口は「おはようございます」、って動いたと思う。けれど、声はほとんど聞こえなかった。あまり、喉の調子が良くないのかな。いつもより温かいっていっても、やっぱり冬で、朝だし……、それなのに毎朝外に出てきたりしたら……風邪、とかだったりするのかな。 気になったけれど、なんだか声をかけるのはためらわれた。登校日で、いつもより時間が無いから? 声は小さいけど、見た感じは変わらずにこにことした表情を浮かべて元気そうだったから? いつもそうして挨拶だけの関係を続けていたから、なんとなく、……そう、なんとなく、その距離感を壊したくなかった? 結局ボクはいつも通り、挨拶だけをお婆さんと――一方的だったけど――交わし、その公園を後にした。 学校へ向かうために家を出た時間は、それほど切羽詰まったものにはならなかった。とことこ歩く道すがら、お婆さんのことをずっと考えて、危うく校門を通り過ぎそうになった。 ――と、 (あちゃー) その校門では、クラスは違うけど学年は同じで、「顔は見たことがあるレベル」の女の子が二人、前に立つ男の人に道を塞がれるようにして所在なさげに立ちすくんでいた。あの男の人は…… 「うわーかわいそ。体育の後藤先生じゃん」 「鈴凛ちゃん」 いつの間にかボクの横には鈴凛ちゃんが立っていた。 「あの二人、髪の色……かな?」 「たぶんね。休みに入ってちょっと遊ぶコとかいるからねー。アタシはいいじゃんちょっとぐらい、とか思うけど」 後藤先生は年のいった、校内でも指折りのコワい先生だった。学年主任とかもやってて、集会なんかでは生活指導担当として厳しいことを言う役回りだったりする。今日も、冬休みに入って髪を染めたり、爪をキレイにしてたりしてないかをチェックしてるんだろう。 「ま、アタシたちはだいじょぶでしょ。ほら、行こ」 「うん……」 鈴凛ちゃんはとばっちりを避けるためか、立ち止まったままの三人を遠巻きにしながら駆けて通り過ぎていった。それに続こうとしたボクを、じろっ、と先生は横目で見た。 とっさにボクは、 「おはようございます!」 と叫ぶように挨拶をした。 ――すると、周りの目が、一斉に……まるで、一つの意思をもった生き物のように、視線がボクに、集まった。先を歩く男の子たち。足早に抜き去ろうとしていた女の子。後ろから来ていた下の学年の子たち。それは後藤先生に捕まっていた二人も同じで、驚いたような、怪訝なような、不思議なものを見るような目で、ボクを見ていた。 え、何? これは、何? なんでみんな、そんな目で――ボクを見るの? 「おはよう」 一人最初からボクをねめつけるようにしていた先生は一言だけそう返して、視線を二人の女の子に戻した。 「まも」 固まってしまったボクの手を、戻ってきた鈴凛ちゃんが引いてくれた。 「あ……」 「行こ」 「あのさ」 昇降口まで来ると、鈴凛ちゃんは一番端の、今はクラスが減ってどの学年も使っていない下駄箱のところまでボクの手を引いていった。呆然としたままだったボクは、 「あ、う、うん。ありがと、鈴凛ちゃん……」 窮地を救ってくれたらしい姉に、あわあわと礼を言った。 「それはいいんだけど」 ひらひらと手を降るその様子は、どうやら礼を求めていたわけではないみたいだった。 「まも、あれはなんて言うか……その……なんて言うんだろ……」 ちょっと逡巡して、それで言葉が見つからないのか、右手でわしゃわしゃ耳の上の髪を掻いて、何かを言いあぐねているようだった。 「え、と……さっきの……挨拶?」 「そう、それ」 そう言ってから、 「ちょっと、マズいかもね」 と続けた。 「え?」 意味が分からない。挨拶が、良くない? 「ほら、アタシ達ぐらいって……だんだん、そういうの、ちょっとカッコワリー、みたいな空気、あるじゃん?」 「……そうなの?」 「そうなの」 鈴凛ちゃんは「あー、まもはかわいいなぁ」「こんなことアニキに聞かれたら怒られるかも……」とかなんとか小声で呟いたような気がしたけど、そこで顔を上げて、 「アタシはそういうの嫌じゃないし、自然にやるようにしてるけど、やっぱトモダチとかの前だと、あんまりやらない方がいいのかも」 と言った。 「え、でも、」 そこまで言いかけてから、ふと気付いた。先生に挨拶した時の、周りのあの視線を。 ひょっとすると、あれは、挨拶は――今の自分くらいの歳になると、恥ずかしいこと、なのだろうか。 ――ちょうど、男の子に混じって、女の子が遊ぶのと、同じように? あのサッカーの日、保健室のベッドの上で聞いた男の子たちの会話が、フラッシュバックする。 まただ。また、ボクは何か、何か大きな―― 「――まも?」 気付くと、鈴凛ちゃんがその大きな瞳でボクの顔を覗き込んでいた。 「……ぁ、ご、ごめんっ」 なんだかその目に耐えられなくて、視線が怖くて。ボクは、逃げるようにしてその場から走り去った。 翌日は、朝、起きられなかった。いや、正確に言えば、起きることは起きたけど、昨日鈴凛ちゃんに言われたことが、ぐるぐる、ぐるぐる頭の中で回り続けていて、起き出したくなかった。だって起きてしまうということは、走りに行くということで、走りに行くということはあの公園に行くということで、あの公園にはお婆さんが居て―― 「おはようって、言うんだ……」 そう思うと、ベッドから抜け出せなくなった。体が、気持ちに引っ張られるように重くなって、動こうとする意志を簡単に押さえ込んでしまう。 今日、一日だけ。そう、今日だけは、休んじゃってもいいかな、と思った。 明日になれば、また元気なボクに戻れるよ。 † † † 明くる日。公園の水飲み場から見える光景に、お婆さんの姿はなかった。朝靄の薄くたなびく先にあるベンチには、誰もいない。その代わりに、玄関先には大きな立て札があった。白地の札には、高齢の女性であろう名前と、その女性が亡くなったことを示す喪中の黒い字が、不吉な生き物のように這っていた。 雨が降り始めたのは公園から逃げるように帰った家に着いてからすぐで、あっという間にバケツをひっくり返したような豪雨になった。雨は降り止む気配を見せず、一向にその勢いは衰える余地がない。気温はみるみるうちに下がり、季節相応の冷え込みを急に見せ始め秋の装いのままだった体を容赦なく冷やす。帰るなり浴びたシャワーだったけど、こうしてベッドの上で膝を抱えていては、いたずらに湯冷めをするだけだった。ママが何度か厚着をするように部屋のドアを叩いて叫んでいたけど、何かをする気にはなれなかった。しばらくするとそれも止んで、この雨だというのにママはどこかへ出かけていった。車のドアがしまる音と発進音がして、家の中は急に静けさを増した。 一人になっても、考えるのは同じことだった。普段悩みや考えることと疎遠な頭の中は整理できないことでいっぱいで、欠片を拾ってもそのピースをどこにはめたらいいのかがちっとも分からない。 視線だけ上げる。暗く重い曇天は限りなく光を遮り、明かりもつけない部屋の中に深い影をいくつも落としていた。 そして、その影のうちの一つが、一瞬、――にゅるっ、と揺らめいた気がした。 「、ひっ」 一度チラついたように見えた影は、それが気のせいだったと思いたいボクをあざ笑うように二度三度と揺らめいた。揺らめき始めた影はその動きを増す。それは一つだけではなくて、ベッド、勉強用の机、本棚、部屋の中のありとあらゆる物の影から這い出るようにして、徐々にボクの方へとその触手を広げていった。 「うそ……やめて……」 機を逸した体はもう動き出せなかった。輪を狭めてくるそれらの影を、ただ呆然と見守るしかない。 「っ、ごめん……なさい……」 机から伸びた影が、ベッドの上に到達した。もう、足元にある。 「ごめん、なさい」 窓際から伸びた影は、体の横についた手のすぐそばにある。 「ごめんなさい!」 その影はどれも、あのお婆さんの顔の形をしていた。 そしてついに、影の一つが腕に触れ、物凄い力で引き寄せようとした。 「わあぁ!」 「衛!」 不意に、パッ、と電気が点いたようだった。その声は耳を通り頭の中までしっかり届き、ごちゃごちゃしていた物を通り抜けると意識をはっきりさせた。 あにぃ、だった。 よくよく見てみれば部屋は暗いもののどこにも影なんて踊ってないし、それほど数の無い家具と共に静かにその場に止まっている。どこかに引き込もうとしたかに思えた強い力で腕を掴んでいたのはあにぃだったし、全部、全部、ボク自身が見せていたまぼろしだった。 何も考えず、その腕の中に飛び込んだ。 「落ち着いた?」 「うん」 ぼろぼろ流した涙の跡を片手で拭き取っても、あにぃから離れたくはなかった。背中に回してくれた手は温かいし、髪を優しく何度も梳いてくれるとそのたびに気持ちが落ち着きを取り戻していく。あにぃはやっぱり、魔法使いみたいだった。 「こんなに冷えちゃって」 「お風呂入ったから」 「入り直す?」 「ううん、いい。怖いし」 「今なら一緒に入ってやってもいいし」 「……それなら怖く、ないけど……」 「ホントは今日、衛に付き合ってやるはずだったからな」 あ、忘れてた。 「あ……」 「いつまで経ってもウチ来ないし。いつもの衛にしちゃヘンだなーって思ってたら母さんから電話あって。慌ててきてみりゃなんか衛はすごい怖がってるし」 「ご、ごめん」 「いいよ」 そのまましばらく、そうして過ごす。そんな時間が過ぎてから、ぽつりと、漏らすようにつぶやく。 「ねぇ、あにぃ。冬休みに入ってからね」 そうして、お婆さんとの話を、訥々と語っていった。途切れながら、ぼそぼそと話すボクに、あにぃは静かに耳を傾けてくれた。 「前にあにぃは言ったよね。ボクに、『そのままの衛でいいんだよ』って」 全てを話し終わってから、そう、付け加える。 「うん」 「でもね」 一呼吸をゆっくり置いてから、続ける。 「人はいつまでも、そのままじゃいられないみたいだよ」 一度そう言うと、もう止まらなかった。 「お婆さんは、死んじゃったよ。そのままいてくれはしなかった。いなくなっちゃった。ボクは挨拶をやり直したかった。恥ずかしいものかもしれないって、そう思ったけど、やっぱり挨拶は好きだったから、あにぃが『そのままの衛でいい』って言ってくれたから、きちんとお婆さんに挨拶をしたかった。でも、でもね」 あにぃ、 「もう、『おはようございます』って、言えない。変わっちゃったよ」 ボクは、 「そのままでは、いられなかった」 どうしたら、いいの…… ぎゅっと握ったあにぃの胸は、しっかりと鼓動を繰り返していた。 あにぃの口が、動く。 「衛、
by sakuragi_takashi
| 2007-11-03 06:34
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